天才ビートたけし。芸能界でこれだけ才能があって、オーラがあり、世界でも有名な人はいないのではないでしょうか。
そんなビートたけしさんの若い頃ってどんなだったか気になりませんか?
今回はビートたけしさんの若い頃を徹底リサーチしましたのでぜひご覧ください。
デビュー当時の若い頃
ビートたけしさんは芸人になる前は、大学生でした。明治大学には2年生まで通ったそうですが、大学に通う意味を見いだせなくなったそうです。
それから大学へは通わなくなり、1972年にフランス座へ入り、芸人を目指すようになります。
画像出典元:日刊ゲンダイ
エレベーターボーイから始まり、芸人の道を自身で切り開いて行くことになります。
そこでタップなど芸を磨いた後、1972年に兼子二郎さんとコンビを結成。
当時はツービートという芸名ではなかった。
いくつかの芸名を経て、ツービートという芸名になった。
画像出典元:東京新聞
漫才ブーム(1979~1981)
コンビ結成後、実力はあったのですが、なかなか売れなかったツービート。その後空前の漫才ブームが到来します。
「花王名人劇場」や「THE MANZAI」といった漫才主体のテレビ番組で漫才師が一躍人気者になります。
画像引用元:パットマンXの遊星より愛をこめて
事実婚
1980年に漫才師「ミキ&ミチ」の北野幹子さんと事実婚をしました。
画像出典元:気まぐれ日記
1983年に正式に結婚されます。
テレビで大活躍(1981年~1985年)
1981年に伝説的番組フジテレビ「オレたちひょうきん族」(1981年~1989年)がスタートします。
画像出典元:スポニチ
お笑い番組の代名詞と言われるぐらいの番組ですが、それを引っ張っていたのがビートたけしさんです。「タケちゃんマン」はあまりにも有名ですよね。
視聴率は17.8%であり、同時間に放送され無敵とされていた「8時だョ!全員集合」を放送終了に追い込むほどの人気ぶりでした。
フライデー襲撃(1986年)
フライデー襲撃事件当時の写真です。
雑誌『フライデー』の契約記者が強引な取材により、ビートたけしさんと親密に交際していた女性にけがを負わせた。
そのことに激怒したビートたけしさんは、講談社に押しかけ、編集部員にけがを負わせた事件。
画像出典元:X
映画監督デビュー(1989年)
1989年には映画監督デビューも果たしました。
画像出典元:東京新聞
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