日本を代表する絵師、葛飾北斎。
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彼には驚愕することがある。なんと生涯で引っ越しを93回も行ったというのです。
私なんて1回でも引っ越しするのが面倒だというのに、93回も引っ越しするなんてすごすぎませんか?
今回は、葛飾北斎が引っ越しをした詳細、なぜ93回も引っ越しをした理由を記事にしましたので、ぜひご覧ください。
なぜ何度も引っ越しをしたのか
なぜ葛飾北斎は93回も引っ越しをしたのでしょうか。
それは掃除をすることが面倒なため、引っ越しをしたんだそうです。
葛飾北斎には、お栄という娘がいました。(葛飾応為という画家でもあった。)
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晩年の北斎はこの栄と二人暮らしでした。二人とも絵以外には無頓着だったため、部屋はゴミだらけだったそうです。普通だったら、掃除して、一件落着というとこですが、やはり天下の葛飾北斎。掃除する時間ももったいないということで引っ越しという選択をしました。
当時の引っ越しは、「裸貸し」といって、引っ越す時には家財道具をすべて売り払い、引越し先の古道具屋で家具を調達するのが主流で、引っ越しは手軽だったようです。
引用元:アーク引越センター
もしかしたらゴミ屋敷になった部屋を掃除するより引っ越したほうが手軽だったのかもしれませんね。
借金取りから逃げていた?
葛飾北斎が引っ越しを繰り返した理由のもう一つは【借金取りから逃げていた】ということです。
お金に無頓着だった北斎。どこかに適当に置いておいて盗まれたり、請求に来る店の者には大金を投げつけるなど、貯金をしませんでした。70代の頃には、葛飾北斎は人気絵師で、稿料も高かったですが、返していた主な借金は、博打にはまった孫が作ったものです。→ほんとうにお金に興味ないんですね。
60代では、娘や妻の死、娘二人の離婚、自身も脳卒中になるなどかなり大変な時期でした。
そんな大変な時期でしたので、何か(不幸)から逃れるために引っ越しをしていたんじゃないでしょうか。
どこに引っ越したのか
どのくらいのペースで引っ越しをしたのでしょうか。75歳までに56回(1.3年に1回のペース)、85歳から90歳までは33回(2か月に1回のペース)で引っ越しをしていたそうです。
住所不定といわれるほどあちこちに住まいを変えた葛飾北斎。いつ頃どこに住んでいたかは確かではありません。わずかな手がかりから導き出されることは、現在の墨田区や台東区など合わせて30か所の土地を住まいとしていたと推測されます。
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先ほども記載した通り掃除を全くしなかった北斎。
自炊など全くせず、総菜やまんじゅうを買い込んではその辺りに捨て置いたいたようです。(ヤバ!)そのため、臭いがしてきて我慢できなくなると、その都度引っ越していたんだそうです。
唯一家を構えた場所があった
1808年、葛飾北斎は生涯でたった一度だけ新居を構えました。場所は本所亀沢町。借家住まい(引っ越し前提?)を繰り返していた北斎。いったい何があったのでしょうか??
本所区(ほんじょく、旧字体: 本所區)は、東京府東京市(後に東京都)にかつて存在した区である。1878年(明治11年)から1947年(昭和22年)までの期間(東京15区及び35区の時代)に存在した。現在の墨田区の南部。
引用元:wikipedia
書画会で新築祝いを伝えたと言われていますが、また、翌年には両国付近へ引っ越したそうです。そして以前のように借家住まい。新居であっても掃除はできなかったのでしょう。そしてゴミ屋敷となれば引っ越すという住みやすい?スタイルに戻ったようです。めでたしめでたし。?
どれぐらい忙しかったのか
北斎は超多作絵師として知られています。現存する北斎の作品は3万点以上。北斎は88歳まで生きたとされていますが、70年間で3万もの作品を描くとすると、1年で430枚弱描いていた計算になります。
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1日に換算すると1枚以上描いていたことになります。ほんと絵を描くためだけに生きないと無理ですよね。そりゃ、身の回りの事なんて何もできやしませんよ、むしろあっぱれって感じですね。
まとめ
葛飾北斎は引っ越しを93回行った。
引っ越しの理由は絵に集中しすぎて、掃除などができなかったから。(ゴミ屋敷になった。)
もう一つの理由は借金取りから逃げるために引っ越した。
以上です。93回も引っ越すなんてすごいですね。さすが天才です。