2016年「(僕の)アモーレ」が流行語大賞のトップテン入りした長友佑都選手。
当時交際中の女優で、のちに奥さんとなる平愛梨さんに向けた言葉でした。
チェゼーナのチームメイトだったジュゼッぺ・コルッチには「長友は日本人なんかじゃない、ラテンの血が混ざってる。むしろイタリア人」と言われるほどフレンドリーな性格の持ち主です。
今回はそんな長友佑都選手が苦しめられた腰痛について、みていきたいと思います。
長友佑都プロフィール
画像出典元:ゲキサカ
- 生年月日:1986年9月12日
- 出身地:愛媛県西条市
- 身長:170㎝
- 体重:68㎏
- 配偶者:平愛梨(女優)
- 所属クラブ:FC東京
長友佑都選手は小学校1年生のときにサッカーを始め、6年生で愛媛FCジュニアユースのセレクションを受けましたが落選しました。
小学3年生のころ両親が離婚。
2002年サッカーの強豪校である東福岡高校に入学します。
明治大学在学中にサッカー部を退部して東京FCに入団しました。プロ1年目でJリーグ優秀選手賞、優秀新人賞受賞!
2010年~3大会連続でワールドカップ日本代表選手に選ばれました。
2011~2018年にはセリエA名門インテル・ミラノに所属。
イタリアのスポーツ紙「ガゼッタ・デロ・スポルト」は長友選手のことを「インテルに欠けていた闘争心に飢えている象徴的存在」と評しています。
腰痛の症状
長友佑都選手は2005年明治大学サッカー部入部直後に腰椎分離症、椎間板ヘルニアを発症しました。
特に腰椎分離症のほうは状態が悪く、長友選手の場合は左右の腰椎が折れていたとのこと!
しかも腹筋の前部と背筋だけが強いという筋肉の力のバランスの悪さが腰痛の状態を深刻化させていました。
腰椎分離症の症状
背中を後ろにそらせたり腰をひねると腰痛が出る
椎間板ヘルニアの症状
下肢や腰の痛みとしびれ、下肢の運動障害
どれぐらいひどかったのか?ヘルニア手術は?
長友選手は明治大学の学生でFC東京の特別指定選手だったころ、ボールが蹴れない、走れないほどひどかったようです。
あまりにひどかったため、就職パンフレットを取り寄せながらサッカーを続けられるのかどうか相当悩んでいました。
ただし、ヘルニア手術はしていないそうです。
どのようにして改善したのか?
長友選手が大学3年生のときに、コンディショニングトレーニングアドバイザーの木場克己さんと出会いました。
画像出典元:footballzone
長友選手は腰痛には体幹トレーニングがいいと腹筋や背筋ばかりを鍛えていたのですが、アドバイザーの木場さんによるとこれはまったく逆効果だったようです。
体幹にとって重要なのは体幹トレーニングだけではなくバランスとのこと。
長友選手はお腹の横の筋肉と体をひねる筋肉が乏しかったため、柔軟性に欠けていました。
また長友選手は体が小さいので外側の筋肉であるアウターマッスルをつけていましたが、インナーマッスルはあまり鍛えられていなかったためバランスが悪かったのです。
木場さんはその部分を鍛えなおすことを提案。
インナーマッスルを鍛えることで背骨を支えられるようになりました。
とくにチューブを使ったバランスと体幹を融合させたトレーニングは効いて、体がブレずに地に足がついた状態でプレーできるようになったそうです。
その結果わずか2か月で長友選手は試合に復帰することができて、プロになることも決まったのです。
今はどうなのか?
今現在、腰痛は落ち着いているようです。
2021年11月には愛知県名古屋市の会社と共同開発した腰ベルト「Style BX Lumbar」が発売されていました。
画像出典元:MTG
ほかにもヨガの本「ヨガ友」や体幹トレーニングの本も数冊出していて腰痛予防にいいメニューも載っています。
画像出典元:産経フォト
一時は走れなくてサッカー選手の道を断念するかもしれない状況になりましたが、その後は安定しているようですね。
世間の声
長友佑都選手と奥さんの平愛梨さんに対しての世間の声は厳しいものが多くみられました。
SNS上で見られるお二人のラブラブぶりや、平愛梨さんのブログにお子さんなど家族の登場率が高いことなどから、ノロケぶりがウザい、痛いとの声があります。
それも年齢的に若くない30代の落ち着いた年齢の夫婦なのに・・・ということがあるようですね。
また長友選手が平愛梨さんにプロポーズしたときのことも原因のようです。
プロポーズはインテルのホームスタジオで行われましたが、なんと平愛梨さんはそのとき芝生の上をヒールで歩いてしまったそう。
そこはACミランのホームスタジオでもあるイタリアサッカーの聖地と呼ばれる場所です。
このことが特にサッカーファンから批判されました。
まとめ
・長友佑都さんは2005年明治大学サッカー部入部直後に腰椎分離症、椎間板ヘルニアを発症した
・一時はボールが蹴れない、走れないほどひどかった
・あまりにひどかったためプロ入りの断念を考えるほどだった
・大学3年生のときに、アドバイザーの木場克己さんと出会いバランスを整えることで、わずか2か月で試合に復帰できるまでに超回復した
・今現在腰痛は安定している
・腰ベルトを共同開発、ヨガや体幹トレーニングの本も出版している
もはやイタリア人と言われるほど明るくてポジティブな長友選手。
大学生という若いときに腰痛でプロ入りが危ぶまれたときは相当ショックだったようですが、アドバイザー木場さんと出会えたことで安定し、その後は大活躍しています。