作家の中村文則さん。
画像出典元:東海市
現代を代表する作家さんです。
綾野剛さん、又吉直樹さん、吉沢亮さんなど、芸能人でも、中村文則さんのファンは多いです。
画像出典元:ダ・ヴィンチニュース
受賞歴もすごくて
2002年 第34回新潮新人賞 『銃』
2004年 第26回野間文芸新人賞 『遮光』
2005年 第133回芥川龍之介賞 『土の中の子供』
2010年 第4回大江健三郎賞 『掏摸<スリ>』
2014年 デイビッド・グーディス賞
2016年 第26回Bunkamura ドゥマゴ文学賞 『私の消滅』
2020年 第73回中日文化賞
デイヴィッド・グディス賞
ノワール小説(犯罪や暗黒街を題材とした小説の一形式。 暗黒小説。)の作家、読者、書店関係者からなるアメリカの団体NoieConが主催する賞。
2年に1度、ノワール小説分野に貢献した作家に贈られる。
この賞の受賞は中村文則さんが日本人初となる。
となっています。
画像出典元:CrimeReads
私も中村文則さんの小説は好きで、特に『遮光』という小説が好きです。
間違いなく、現代を代表する作家さんです。
Q.
そんな人を惹きつける小説を書く中村文則さんの生い立ちはどんなものだったのでしょうか?
中村文則さんの生い立ちを知ることで、生きるヒントが見つかればいいな、と思っています。
どうぞ、ご覧ください。
中村文則の生い立ちは?
中村文則さんの生い立ちについて詳しく書かれていることはありませんでしたので、インタビューなどから抜粋し、想像しながら、どういう人生を歩んでこられたのか予想してみます。
幼少期~高校時代
「人が嫌いだったし、世の中が好きじゃなかったし、家もよくなかったし何もたよるところないので、自分の中に神みたいな架空の存在を作って、それと一緒に生きている気分でいました。」
高校になると、その気分の落ち込みが限界にきて、嘘をついて、1か月ほど休んだそうです。その頃にある本と衝撃的に出会ったそうです。
その小説が、太宰治の『人間失格』。
この小説に激しく共感し、やっと頼りにできるものを見つけたそうです。
本で救われることってありますよね。そしてその本は生きていくうえで欠かせない“お守り本”として、一生救ってくれることになります。
以降、高校生活は太宰治の本を読み漁ったそうです。
画像出典元:三鷹市スポーツと文化財団
他人が同じ場所にいて、自分の興味のない事で盛り上がり、それに合わせないといじめられるから、合せる。
それが学校が嫌いであった理由だそうです。
恐ろしく、苦痛だったんでしょうね。
大学時代
その後、中村文則さんは、大学に進学されます。愛知県の出身ですが、地元を離れたいと思うようになり、福島大学(福島大学行政社会学部、応用社会学科卒業。)へ進学されます。
画像出典元:webオープンキャンパス
文学、心理学、社会学に興味があったようなのですが、文学、心理学は自分で学べるが、社会学は当時、一般的では無かったので、社会学を選んだそうです。
なぜ社会学部があって、偏差値的に入れそうだったのが、福島大学だったそうです。(勉強が嫌いだったそうです。)福島大学に行っていなければ、作家になっていなかったそうです。
音楽サークルに入って、ギターを始めたそうですが、そこは、全国から変な人が集まっているような集団だったそうです。それでだんだん人間嫌いが薄れていったようです。
小・中・高って閉鎖的な空間でそこが合わなければ絶望ですよね。
でも、そこを抜けるか、逃げてしまえば、違う世界があって、何とか生きていけますよね。
中村文則さんが、卒業する時は2000年。就職氷河期だったそうです。中村文則さんの周りには、ミュージシャンとかダンサーとか絵描きとか、型にはまっていない人ばかりだったので、ご自身も、こんなに不景気ならば、好きな事やるという気になったそうです。
フリーター時代
大学卒業後は、コンビニでアルバイトをしながら、作家を目指していたそうです。その頃はフリーターであり続けることは恐ろしいことだったそうです。『フリーター』=『下の人』というイメージがあったといいます。
今もその雰囲気はあるかもしれませんね。
そのため、フリーターは2年までと決めて法務教官の試験を受けていたそうです。試験には合格し、作家のデビューも同時に決まったそうで、中村文則さんは作家という仕事を選ばれました。
法務教官とは
少年院や少年鑑別所に勤務し、非行を犯した少年が構成するよう教育や訓練、助言を行う。国家公務員。
・少年院では個々の少年らの気持ちに寄り添いながら、教育的な指導や生活態度の指導を行う。
・少年鑑別所へ配属された場合は、家庭裁判所から送致された少年について、法務技官とともに少年らの資質を調査することになる。
法務教官採用試験の合格倍率は2020年度で
法務教官A(男性)は、申込者数1,052名に対して合格者数241名で、合格倍率は約4.4倍
法務教官B(女性)は、申込者数400名に対して合格者数95名で、合格倍率は約4.2倍
だそうです。
その後、2002年、『銃』で新潮新人賞を受賞し、作家デビューをする。
影響を受けた作家・作品
中村文則さんは、人が嫌いで、世の中が好きじゃなかったと語っておられるぐらい、人生に絶望していたようです。しかし、そんな中村さんを救ったものが本でした。
太宰治の『人間失格』に救われ、太宰一色の高校生活の後はどんな本を読まれたのでしょうか?
大学生時代にドフトエフスキーに出会います。
画像出典元:TRAnS.Biz
『地下室の手記』を読んで、「こんな暗い本が世の中にあるのか、あってもいいのか」と思ったそうです。自分のように、鬱々としている作家は、日本には太宰治を発見した。世界にはドフトエフスキーという作家がいることを知り、ドフトエフスキーの本を読み漁ったそうです。それは幸福な時間だったとのこと。
それから
カミュ『異邦人』
ジッド『背徳者』
カフカ『変身』
サルトル『嘔吐』
芥川龍之介『河童・或阿呆の一生』
三島由紀夫『金閣寺』
阿部公房『砂の女』
大江健三郎『個人的な体験』
など影響を受けた本は多数あるそうです。
本が中村文則さんの人生を救ったと言っても過言ではないかもしれません。
まとめ
いかがだったでしょうか。
ではまとめです。
A.
中村文則さんは中学、高校あたりは、人が嫌い、世の中も好きじゃなく、家もよくないと、生きていることが辛かったようです。
しかし、
・太宰治やドフトエフスキーの本に出会い、自分だけじゃないんだと知ったこと
・他県の大学に入学し環境が変わり、多くの変わった人に出会うことで、人間嫌いが薄れていったこと
など、人生が好転(?)していったようです。
少年犯罪に興味があったため、法務教官の資格を取得した。しかし、新潮新人賞にも合格した。小説家か法務教官かを選ぶ必要があり、小説家の道を選んだ。